ぽんこつブログ

6歳男児を育てながらTVerで働くプロダクトマネージャーです。あらゆるエンタメとアルコールを養分に生きてます。

おじいちゃんが亡くなった日、「人が生きるエネルギー」を見た

やっと心の整理がついたので書こうと思います。
もう気がついたら3週間も前のことになりますが、私の祖父が亡くなりました。92歳でした。

祖父は、地元では知らない人はいないというくらい大きなホテルを作った創業者で、本当に、生涯パワフルな人でした。

亡くなる日は、もう前日から容態が危ないと医者に知らされており、子、孫、ひ孫まで親族一同が前日に駆けつけて祖父の最期に立ち会うことができました。本当にもう、これ以上ないくらいの大往生です。

私が家に着いた時にはもう話すことはできない状態になっていて、それでも目を見るときちんと意思を感じる、手を握ると握り返してくれる、そんな容態でした。
家族親族ひとりひとりが交代で祖父に話しかけ、一晩を越し、夜が明けた頃、たまたま私がひとりで祖父を見ていた時に、突然呼吸が変わりました。

それまでゼエ…ゼエ…と一所懸命に呼吸をしていたのに、口は同じように動いているまま、息を吸い込まなくなりました。

すう、すう、と呼吸が空回りして、顎だけが動いている。それでも懸命に、「死んでなるものかと」懸命に口を動かす祖父の姿が、今でも目に焼き付いて離れてくれません。目の力強さだけが、呼吸を求めていて、宙を泳いでいた。

これは尋常じゃないなと思った私が母を呼び、母がみんなを呼び、あっという間に家族が集まりました。みんなで「じいちゃん!じいちゃん!」と叫び、呼ぶ中で、時たま力いっぱいに息を吸って、それでも吸えなくて、最期は本当にすう、と静かに息を引き取りました。

「息を引き取る」という、本当にその瞬間を見た思いでした。



祖父は元々長野の田舎の方で農家をやっていた人だったのですが、農地開拓のために今の私の地元にやってきたそうです。
でも私の地元は標高1500mという極寒の地で、当時は本当に何もなく、農作物など育つわけもなく、電器も水道も何もない暗闇の中、凍る布団に耐え、その日家族を食わせるために文字通り石にかじりつくような生活だったと。

ホテルが大きくなってからも、本当にいつもホテルのことだけを考えて生きてるような人でした。
足腰が弱くなって立てなくなっても、少しでも長くホテルの中を散歩したがった。

 

祖父が霊柩車に乗って焼き場に運ばれたのはとても深い霧の日で、少し雨も降っていたのだけど、その雨の中、ホテルの前に従業員の方々が列を成していた。「万歳!万歳!万歳!」と涙を浮かべながら、懸命に叫んで見送る皆さんを見て心がいっぱいになった。
祖父は、ホテルだけではなく人の人生の一部を作ったのだと。
会社を作るというのはそういうことなんだと。

 

祖父は会話ができなくなる直前、最期に「キャンプ、テント、リゾート、日本一。万歳!」と、手元で万歳をしたそうです。


そんな人生だからか、祖父は最後まで全く呆けませんでした。
92歳という年齢で、誰より真摯に世界を見続けていた。


私がIT業界に就職が決まったと言った時も、誰より喜んでくれたのは祖父でした。

「新しい市場、伸びている市場に行こうとする気概や、よし!」と、激励してくれた。

今思えば、もっともっとおじいちゃんと仕事の話をしてみたかった。
私は4人兄弟で唯一の女の子だったから、なんとなくそういうことを期待されていないような気がして、勝手に臆してしまっていたけれど、本当はもっともっと自分の仕事の話をしてみたらよかった。

今やっている仕事で何かを成し遂げられるところを、いつかおじいちゃんに見て欲しかった。


会社では鬼のように恐れられていた祖父だったけど、私達孫には本当にただ優しいおじいちゃんだった。
今はまだと決めたのは私自身だったけれど、それでもやっぱり、私がこどもを産むまでは生きていてほしかったな。

 


後悔することはたくさんあるけれど、最期まで呆けずにいてくれた、最期まで大好きなおじいちゃんのままで、私達にきちんとお別れをさせてくれたおじいちゃんに、感謝したい気持ちの方が大きいです。



祖父が寝たきりになったのはもう何年も前のことでした。転倒し、足腰が弱り始めてからはあっという間だった。
それでもそうなってから、きっとずっと「生きたいと思う力」のようなエネルギーが祖父を生かしていた。
自分もそういうものを得られるだろうか。あと60年以上も、世界を見続けたいと思えるような何かを見つけられるだろうか。

 

祖父の辞世の句です。


憂きことのなほこの上に積もれかし限りある身の力ためさん
(艱難辛苦よ、かかってこい!俺の限りある身で打ち勝ってやる)


有名な句だそうですが、あまりにも祖父らしい。かっこよすぎるよじーちゃん!

 

おじいちゃん、本当に大好きでした。
おじいちゃんが切り拓いた土地で、そこに根付いた家庭で、のびのび育ててもらえて、本当に幸せだった。
教育を、生きるチャンスを、たくさんたくさん与えてくれて、本当にありがとう。


これからもどうか、ずっと空から叱咤激励してください。